2009年07月04日

日本の印刷会社

凸版印刷(とっぱんいんさつ)は、日本の印刷会社。日本の印刷業界2強(凸版印刷・大日本印刷)の一角。1900年1月17日創業。通称トッパン。

本社は、東京都千代田区神田和泉町1番地 神田和泉町ビル6階。

社名の「凸版」は創業当時、最新鋭であった銅凸版印刷技術(別名・エルヘート式凸版印刷)を前面に出すためにつけられたものである。
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最近は、従来の印刷だけでなく、印刷技術を応用したデジタル画像処理やエレクトロニクス製品に力を入れている。カラー液晶に使用される液晶カラーフィルタ、半導体製造の原板となるフォトマスクを取り扱う。特に液晶用カラーフィルタの生産高は世界首位。[1]ICタグを用いたソリューションサービスにも積極的。
またインターネット関連では、地図情報サイトの草分けである「Mapion(マピオン)」を事業会社化し、NTT東日本とともに株式会社サイバーマップ・ジャパン(現・株式会社マピオン)を設立し、現在は同社の筆頭株主となっている。2005年10月、Eビジネス事業部門の元となったコンテンツ流通配信サービス「bitway」(ビットウェイ)を、事業会社として独立させ、株式会社ビットウェイを設立。

2005年10月17日、情報ビジネス開発本部が中心となって日本初のフリーDVD「codeNEO」(コードネオ)を開発。事業検証号10万部作成し、サイバー・コミュニケーションズやamazon.co.jpと提携して配布した。

2009年06月14日

ひまわり油(ひまわりゆ・ひまわりあぶら)は

ひまわり油(ひまわりゆ・ひまわりあぶら)は、ヒマワリの種子を原料とした油脂。主に食用油として用いられる。

2007/08年の全世界における生産量は約13500万トンで、パーム油・ダイズ油・菜種油に次ぐ第4位。主なヒマワリ種子の産地は東ヨーロッパ諸国、アルゼンチン、米国、中国、インド。16世紀にアメリカからヨーロッパに持ち込まれ、18世紀頃から油糧植物としての栽培が始まった。在来品種の脂肪酸組成はリノール酸70%前後、オレイン酸15-20%の高リノール油であるが、生育環境温度などにより変化する。高緯度ではリノール酸が増加し、低緯度ではオレイン酸に富む。ヒマワリ種子の油脂含有量は当初30%であったが、品種改良により45%程度まで向上している。1970年にはソ連(当時)で高オレイン酸のヒマワリの品種が研究され、アメリカで改良が重ねられてオレイン酸を80%含む品種が開発された。1980年代半ばから改良種の栽培が始まり、ハイオレイック油と呼ばれる、オレイン酸含有率の高い油が生産されるようになった。2000年以降はリノール酸が15?20%、オレイン酸が40?60%の中オレインタイプのNuSun品種が伝統的な交配育種法により育成され、主流となっている。ヨウ素価は、ハイリノール油で120-142、中オレイン油で88-115、ハイオレイック油で78-98。
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用途 [編集]
日本ではエステル交換反応によるココアバター代替脂製造用が大部分で、マヨネーズやサラダドレッシング、マーガリンの原料としても用いられる。また、風味が良いため穀類やナッツ類などの表面保護、クッキーなどのコーティング、煎餅などのつや出し、揚げ物・炒め物などに使用されることもある。近年では、バイオディーゼル用燃料としても研究が進められている。

2009年05月29日

徳川 家康(とくがわ いえやす)は

日本の戦国武将・江戸幕府の初代征夷大将軍。 本姓は当初藤原氏と、次いで源氏と名乗った[1]。家系は三河国の国人土豪・松平氏。

永禄9年12月29日、勅許を得て徳川氏に改姓。徳川氏の祖。通称は次郎三郎。幼名は竹千代。

死の直前、太政大臣に叙せられている[2]。

死後、江戸時代を通じて、御家人・旗本には「神君」、「東照宮」、一般には「権現(様)」(ごんげん-さま)と呼ばれていた。

応仁の乱以降100年以上続いた戦乱に終止符を打ち、織田信長、豊臣秀吉により統一された天下を更に磐石のものとし、264年間続いた江戸幕府を開府し、その礎を築いた。日光東照宮・久能山東照宮などで「東照大権現」(とうしょうだいごんげん)として祀られている。
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戦国時代に、三河国・岡崎に岡崎城主・松平広忠の子として出生。幼名は竹千代。当時の松平氏は弱小であり、広忠は臣従していた今川氏に竹千代を人質として差し出す事となった。一時、家臣の裏切りにより織田氏の人質となるが、最終的には当初の予定通り今川氏に送られた。

今川氏の元で人質として忍従の日々を過ごすが、桶狭間の戦いにおいて今川義元が討たれた後、今川氏の混乱に乗じて独立し、織田信長の盟友(事実上は客将)として版図を広げていく事となる。やがて、本能寺の変において信長が明智光秀に討たれると、その混乱に乗じさらに勢力を広げた。

豊臣秀吉との小牧・長久手の戦いを経て豊臣氏に臣従。秀吉の元で、家康は最大の領地を得る事となり、豊臣政権の五大老筆頭となる。秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝利し、天皇から征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府(江戸幕府・徳川幕府と呼ぶ)を開いた。

2009年04月25日

アッカド語

アッカド語(アッカドご)は古代メソポタミアで、主にアッシリア人やバビロニア人に話されていた言語。当時は国際共通語でもあった。アフロ・アジア語族セム語派に分類される。現在知られているなかで最も古いセム語である。楔形文字で表記された。またシュメール語からの借用語が非常に多いのも特徴の一つである。

アッカド語は歴史・地理的に次のように区分される。

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紀元前2500年ごろ-紀元前1900年ごろ 古アッカド語
紀元前1950年ごろ-紀元前1530年ごろ 古バビロニア語(南部)/古アッシリア語(北部)
紀元前1530年ごろ-紀元前1000年ごろ 中期バビロニア語(南部)/中期アッシリア語(北部)
紀元前1000年ごろ-紀元前600年ごろ 新バビロニア語(南部)/新アッシリア語(北部)
紀元前600年ごろ-紀元後100年ごろ 後期バビロニア語
非常に大雑把な差異としてバビロニア語では母音が連続した場合に短縮して発音されたのに対し、アッシリア語では母音が連続しても短縮せず元の形が保たれる。バビロニア語もアッシリア語も時代が下るにつれアラム語の影響を大きく受け、最終的にはアラム語に圧倒されてアッカド語は使用されなくなった。

楔形文字
アッカド語の表記は楔形文字によるシュメール語の表記法を借用したものである。楔形文字は、声門閉鎖音、咽頭閉鎖音、強調子音を表すことができないことに加え、音節文字であったため、アッカド語の表記には向いていなかった。そのため、その表記法は表音的・表意的な表記をまぜた複雑なものになっている。

文法
屈折語。名詞は主格・対格・属格の3つの格、単数・双数・複数の3つの数を区別するが、複数形の場合には主格、対格は同一の語形を取り、属格と分けられる。動詞は主語の人称を示す。アッカド語の動詞活用で多くの研究者がユニークな点として言及するのは、完了態と未完了態の二つがあり、時制よりも状態の方が重視されたという。定冠詞(英語のthe や、アラビア語のalに当たる)は存在しない。

2009年04月08日

ヘヴィメタル

ヘヴィメタル(Heavy Metal)は音楽のジャンルの一つ。基本的な俗称はメタル。1970年代後半から1980年代はじめにかけて現れたロックのスタイルで、ハードロックの延長線上にある。両者を並べてHR/HM(HM/HR)と表現することもある。日本のヘヴィメタルファン(メタラーと呼ばれる)はヘヴィメタルを「ヘビメタ」と略すことに対して強い反発を感じており、必ず「メタル」と略す。

ヘヴィメタルは、ハードロックが限界点を迎えた後に顕われたパンク・ロックムーブメントの激動の中で新たな音楽性を求めた者たちがハードロックを発展させた末に生まれたものである。であるのでハードロックとヘヴィメタルの間に厳密な境界線はなく、「何をもってヘヴィメタルとするのか」という定義は存在しない。そのためハードロックとヘヴィメタルとをひとくくりにしてHR/HM(HM/HR)と呼ぶこともある。

日本では世間的には長髪・革ジャンなどのファッションで、ギターもドラムもひたすらジャカジャカ・ドカドカとかきならしてうるさく、歌詞も悪魔・地獄・死といった過激な内容の音楽、といったイメージで捉えられる。このイメージはメタルの一面を間違いなく捉えているが、これだけを過剰に強調した捉えかたは本質からずれている。悪魔崇拝を公言するバンドもあるが、ファッションやアルバム&曲のコンセプトなどのイメージ面に於いてオカルトのモチーフ(逆十字、逆ペンタグラム、666など)を借用しているだけのバンドもあり、必ずしも実際にそのバンドが悪魔を崇拝しているとは限らない。むしろクリスチャン・メタルと言うジャンルがあるほどで、メタル=悪魔崇拝という考えは間違いとも言える。

ヘヴィメタルは比較的古くから、アリーナ向けの商業ロックとアンダーグラウンドにシーンが分かれていて、また時代が下るごとにシーンも細分化が進んできた。シーンの分化はすなわち音楽性の多様性を生み出し、そのため様々なサブジャンルを内包している。ヘヴィメタルのサブジャンル参照。

音楽的特徴 [編集]
メンバー構成は、ロック一般に見られるものとあまり変わらない。ギター、ボーカル、ベース、ドラムを主軸にし、これに、キーボードが加わることもある。ただし、ヘヴィメタルバンドにはギタリストが二人いることも少なくない。また、多くの場合、重いディストーションをかけたギターとバスドラムを2つセッティングしたドラムセット(ツーバス)が使われている。ギターはリズムギターとリードギターに分かれている場合と、二人が同じリフを弾いて重さを増している場合の二つがある。リフはパワーコードを主体とし、ベースはリズムギターのユニゾンを弾いていることが多い。

ヘヴィメタルでは、ギターソロが重視される場合が多く、多くのバンドが曲中にギターソロを入れる。特にギタリストが二人いる場合は、二人が交互にギターソロを弾くことがある。また、ドラムソロやベースソロも行われることも多く、歌よりも演奏で魅せるような曲も多い。

通例のポピュラー音楽のテンポが概ね 80-130bpmであるのに比して、80-200bpm以上と総じて速いテンポの曲または曲の一部を許容する傾向を持つ。

ヘヴィメタルでは、低音域が重要視され、ギターやベースのチューニングを下げて通常より低い音が出せるようにしたり、アタック音の強いバスドラムを左右の足で継続的に踏みつづけるなどの特徴が見られる。ヘヴィメタルは音楽機材の進化と多様化に多大な影響を与えたとも言われている。

歴史 [編集]

ヘヴィメタル黎明期 [編集]
今日ヘヴィメタルと形容される音を最初に取り扱ったバンドについては諸説ある。

ビートルズ「ヘルター・スケルター - Helter Skelter」(『ザ・ビートルズ』収録、1968年発表)をヘヴィメタルの元祖の一つとする説もある。割れるようなサウンド、激しいリフの上にシャウトするコーラス部など、後のパンクロックやヘヴィメタルに与えた影響があまりにも大きいからである。

その他にも1960年代後半からクリーム、ヴァニラ・ファッジ、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルを始めとするラウドなロックが多数現れた。これらのバンドも音的にヘヴィメタルな要素を多分に含んでいるが、いずれもハードロックの範疇に留まると見なすことが多い。

以上のようにヘヴィメタルの祖としては色々挙げられるが、いずれも後から見て「そうとも取れる」というレベルであり、確実にヘヴィメタルの祖といえるのは何と言っても1970年デビューのブラック・サバスである。歌詞、楽曲ともに当時のロックシーンにおいてセンセーショナルであったことは間違いなく、その影響は現代のヘヴィメタルシーンにとどまらず、他のロックンロール・バンドにまで受け継がれている。

ジャンルとしてヘヴィメタルが成立し始めるの1970年前後である。

ヘヴィメタルの確立 [編集]
レインボーの「ア・ライト・イン・ザ・ブラック」「キル・ザ・キング」で聞くことのできる、ベース・ギターとバスドラム、リズム・ギターの三者が同期するリズムは、インパクトの強い独特の疾走感とドライブ感を演出し、その後のヘヴィメタルの定番スタイルとなった。

ジューダス・プリーストは結成当初は比較的オーソドックスなハードロックをプレイしていたが、やがて硬質で疾走感のあるギターリフを用い、金属的な高音ボーカルでシャウトするなどの音楽様式を作り出した。さらに1970年代末以降はレザーファッションやフォーメーションなどステージ・パフォーマンスの面でもいわゆる「ヘヴィメタル」のイメージを作り上げた。

ドイツのスコーピオンズの存在も重要である。スコーピオンズ登場前のドイツはロック不毛の地と呼ばれるほど、スター・アーティストが不在の状況であった。スコーピオンズの登場後、彼らに続くグループが現れ続け、ジャーマンメタルの世界を作り出した。

NWOBHM [編集]
ブリティッシュ・ハードロックは 1970年代初頭に一時代を築き上げるが、1970年代半ばにパンク・ロック・ムーブメントが起きると、かつてのハードロックは「オールド・ウェーブ」と呼ばれるようになり、ブリティッシュ・ハードロック・シーンはその勢いを失っていく。しかしながら、アンダーグラウンドシーンでは様々な若手バンドが頭角を現し、サウンズ誌の記者ジェフ・バートンにより『NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)』と名付けられたこのムーブメントはイギリス全土に広がり、1980年にはアイアン・メイデン、デフ・レパードがメジャーデビューし、シーンは一気に活性化していく。

それに先立ちホークウインドから派生したモーターヘッドは、従来のロックンロールやハードロックに重いギターとスピード感のあるリズムを導入し、NWOBHMや後のスラッシュメタルの先駆けになり、彼らが関連したバンドサクソンなどともに同様の疾走感をもったバイカー向けロックンロールがシーンに定着することとなる。また、イギリス国外のバンドがシーンに登場し、ドイツのアクセプト、フランスのトラスト、オランダのヴァンデンバーグ、デンマークのプリティ・メイズやマーシフル・フェイト、スペインのバロン・ロッホなどが注目された。さらにディープ・パープルのコンピレーション・アルバムが大ヒットするなど、かつてのハードロックバンドの再評価、活躍も見られた。

これに対して日本からは1981年にLOUDNESS(ラウドネス)がデビュー。1976年にデビューしていたBOW WOWとともに世界進出を果たし、セールス的にも好成績を収める。

舞台はアメリカへ?産業化と全盛期 [編集]
1980年代に入ると、ヘヴィメタルの中心はアメリカに移っていく。まずモトリー・クルーやラットの成功によりロサンゼルスを中心としたシーンが活性化、LAメタルと呼ばれるジャンルが誕生、ドッケン、W.A.S.P.、ポイズンの他、ニュージャージーのボン・ジョヴィなどのバンドが次々とメジャーデビューを果たすなど、アメリカから多くのバンドが誕生した。MTVはHM/HRバンドを大々的にバックアップ、ヘヴィメタルの産業化が進んでいくこととなる。

こうしてヘヴィメタルの巨大マーケットがアメリカに誕生すると、それは旧来の英国市場とは比較にならない規模であり、欧州のバンドの多くがアメリカ進出を目指すようになった。ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンといった英国の古参もとより、英米以外の国からも多数のヘヴィメタルバンドがアメリカでも受け入れられ、特にオーストラリアのAC/DC、西ドイツ(当時)のスコーピオンズ、日本のラウドネス、カナダのベテラン、ラッシュやトライアンフ等の活動が目立った。1980年代中期のヨーロッパでは英国の伝統的ハードロックの影響下に、スピードを重視したアップテンポのリズムとメロディックで分かりやすい歌で人気を得たアクセプト、ハロウィンらを初めとするジャーマンメタル、透明感のあるクラシカルなサウンドや幻想的で叙情性のある歌で人気を得るヨーロッパらの活躍があった。1980年代後半にはボン・ジョヴィ、デフ・レパード、ホワイトスネイクといったグループがアメリカを中心に天文学的なセールスをあげ、ドイツのハロウィン、日本のLOUDNESSなどもビルボードのアルバムチャートに顔を出すなど、全盛期を迎えた。

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2009年03月25日

西武鉄道

西武鉄道株式会社(せいぶてつどう、英称:SEIBU Railway Co., Ltd.)は、埼玉県所沢市に本社を置く民間の鉄道事業者。

東京都北西部から埼玉県南西部に路線を有する鉄道・沿線・不動産事業を行う西武グループの主要企業で、大手私鉄の一つである。

かつては東証一部に上場していたが、有価証券報告書の虚偽記載が発覚したため、2004年12月16日を以て取引を終了し、翌17日で上場廃止となった。一方、当時の西武鉄道社長は「ジャスダック上場に総力を挙げる」としていたが、同年度内の上場はなかった。再上場する可能性は高いと言われていたが、2006年3月27日の西武グループの再編により、グループ持株会社の西武ホールディングスの子会社となっている。

東京急行電鉄や近畿日本鉄道とならび、日本の大手私鉄では最も資本金の大きな私鉄として知られる。

日本プロ野球・埼玉西武ライオンズの親会社である。
西武鉄道は、現在の池袋線系統の路線を開業した武蔵野鉄道が、新宿線系統の路線を開業した西武鉄道(旧)を合併してできた会社である。

武蔵野鉄道 [編集]
武蔵野鉄道は、1911年(明治44年)10月18日に鉄道免許を取得し、1912年(大正元年)5月7日に設立、当初は巣鴨駅を起点とする計画であったが東京府が池袋駅を起点にするよう指示したため1913年(大正2年)4月に計画が変更、1915年(大正4年)4月15日に現在の池袋線の一部である池袋 - 飯能間を開業した。1922年(大正11年)に池袋 - 所沢間、1925年(大正14年)に飯能までの全線を電化し、1929年(昭和4年)9月10日に吾野まで開業させた。なお豊島線は1927年(昭和2年)に、狭山線は1929年(昭和4年)に開業している。

一方、1924年(大正13年)箱根土地(後のコクド。現在のプリンスホテル)が武蔵野鉄道沿線の北豊島郡大泉村に大泉学園都市の分譲を開始。武蔵野鉄道に東大泉駅(現在の大泉学園駅)を建設の上寄贈する。翌1925年には武蔵野鉄道の株式を取得した。また、箱根土地は1928年(昭和3年)村山貯水池(多摩湖)及び小平地区一帯を開発すべく、多摩湖鉄道を設立。4月6日に国分寺 - 萩山間を開業し、1936年(昭和11年)12月30日に村山貯水池まで開業させ、全通した。

1932年(昭和7年)に箱根土地社長の堤康次郎(滋賀県出身)が経営危機に陥っていた武蔵野鉄道の株式を買い集め、再建に乗り出す。1934年(昭和9年)8月28日、武蔵野鉄道は鉄道抵当法に基づく強制執行が実施され、運賃収入が強制管理人に差し押さえられる(1937年(昭和12年)まで)。1935年(昭和10年)には電力料金11万円滞納を理由に東京電燈から制限送電を受け、経営は一層苦境に立たされるが、1936年(昭和11年)に武蔵野鉄道と債権者の間で和議が成立する。1938年(昭和13年)、大口債権者である東武鉄道の初代社長初代根津嘉一郎らがようやく債務免除に応じ、経営再建に道筋をつけた。

1940年(昭和15年)3月12日、武蔵野鉄道は同系の多摩湖鉄道を吸収合併する。10月、堤は根津及び浅野財閥(元々の親会社)から株式を取得し、過半数を確保、社長に就任した(長年、西武鉄道株式のうち約45%を箱根土地の後身会社であるコクドが保有していて、他に西武建設の保有分を合わせると関連会社による持分が過半数を占めていたのはこの一件に由来するものである)。

チャージ タラソ パント トレード 赤ランプ ヒョウ ナブラ ブルマナ スラト トムトム あしたば おれたち シュズ ルームメ カミオ シシュフ パナマ ダウン すだち ダイナ オカル チンギス リージア ネオジ つるが リニティ バップ オロシ かいづか あつま 石榴 ジエンド プレッ ラウンジ ドロップ ビクー ひらら ビノク シェーカー ラタトゥ 麦わら イキシア パッチ ウイロ 麦わら帽子 単発ガ ネイビー ライフ ムスリム ロベリア


2009年03月09日

ミース・ファン・デル・ローエ

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886年3月27日、アーヘン - 1969年8月17日、シカゴ)は20世紀のモダニズム建築を代表するドイツの建築家。ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とすることもある。)。“Less is more.” (より少ないことは、より豊かなこと)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサル・スペースという概念を提示した。
サイコ チューブ イニシャ コムデ ティーチ カクレミノ ビヨウ クロの景色 シェード テスト プラコ ノーヒッタ チャンピ シンタ シンパシー ジストニア カオリン リール ハイラ ガーター バブリ アセロ ダガナ くしがき ヒロイズム マジック さじ日本 テスラコイ ナイトツア トリップ でぃるは パーゴラ あせろら ファルス オーバ オーソラ ネイリ ビルジ マッチ ライト トスト チっつぐ ジャカー 真実の泉 フレッシ ミゼット レーション ケルシ 無情 ブーツ

ミースは、ドイツのアーヘンに、墓石や暖炉を主に扱う石工の父ミヒャエル・ミースと母アマリエ・ミースの息子として生まれた。大学で正式な建築教育を受けることなく、地元の職業訓練学校で製図工の教育を受けた後、リスクドルフの建築調査部で漆喰装飾のデザイナーとして勤務。1906年にブルーノ・パウルの事務所に勤務。パウルの事務所の同僚の紹介により、1907年に最初の作品であるリール邸を手がけている。この仕事が認められたことにより1908年から1912年まで建築家ペーター・ベーレンスの事務所にドラフトマンとして在籍し建築を学ぶことになる。1912年、独立して事務所を開設。1913年、アダ・ブルーンと結婚。アダの紹介によりベルリン近郊の富裕層の住宅の設計を手がける。1927年、ドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加し、ベーレンス、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエ、ブルーノ・タウトらとともに、実験的な集合住宅を建設した。

1929年のバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館、バルセロナ・パヴィリオンは、鉄とガラスで構成され、大理石の壁を配したもの。モダニズムの空間を実現したものとして建築史上有名。また、同館のためにミースがデザインしたバルセロナ・チェアは、モダンデザインの傑作として知られる。パヴィリオンは博覧会終了後に取り壊されたが、1986年に同じ場所に復元され、ミース・ファン・デル・ローエ記念館となっている。

グロピウスの推薦で1930年からバウハウスの第3代校長を勤めた。ナチスによってバウハウスが閉鎖(1933年)されたため、アメリカに亡命した。シカゴのアーマー大学(後のイリノイ工科大学)に招かれ、クラウン・ホールをはじめとする同大学のキャンパス計画も手がけた。

四方をガラスの壁で囲んだファンズワース邸(1950年・アメリカ)も代表作の一つ。イリノイに週末別荘として建てられたもので、建設費が当初予算を大幅に超えたため、訴訟沙汰になったがミースが勝訴した。2003年にオークションに出され、ナショナルトラストが取得。ユネスコ世界遺産には登録されていない。

超高層ビルの実作品として、ニューヨークのシーグラムビル(1958年竣工)があるが、モダニズムの超高層ビルの中では、SOMのレバー・ハウス(1952年竣工)と並んで、最もすぐれたデザインの超高層ビルともいわれている。

他の代表作に、ブルノのトゥーゲントハット邸(1930年・チェコスロヴァキア)、レイクショアドライブ・アパートメント(1951年・シカゴ)、ドイツ新国立美術館(1968年・西ベルリン)などがある。

ポストモダンの建築家ロバート・ヴェンチューリは、ミースの標語 “Less is more.” をもじり、“Less is bore.” (より少ないことは退屈だ)と皮肉った。

2009年02月20日

フリーデンのメカニックチーフを務める自称「天才少年」。

キッド・サルサミル
Kid Salsamille
いしゅく モルゲン ソニック サシン プラウザー チャプ ノビル すいたい イルク トンブ じゅんさい エンジンシ テクニ クロス リーファ 青皮栗 きんし リターン ラリマール セリバシー ステンド トローク モーグル イヌツゲ リズム バスタブ スペース たまねぎ SEOハツ アオクサ ショット アップ オートモ ファイト リケッチア ぬく森 吾亦紅 ビリンビン ガロン ハナズオウ シェー シュピ へいどん ゲーター カレッジ レジデ カヌー マウンテン はなさか ハハコ

声:くまいもとこ
フリーデンのメカニックチーフを務める自称「天才少年」。まだ12歳の幼い少年ながら、ロココ(声:中村大樹)・ナイン(声:千葉一伸)達年上のメカニッククルーを束ねる。自称に恥じないメカニックとしての高い能力もさる事ながら、仕事に対するプロ意識が大変強く、それが彼のチーフたる立場を確かなものにしている。
機体の改造が好きらしく、常日頃から目ぼしいジャンクパーツを収集し、ガンダムXディバイダーやガンダムエアマスターバースト、ガンダムレオパルドデストロイの新装備の建造を行なったりしている。他にも訓練用ビットシミュレータの調整などその能力は計り知れない。改造のためなら何日徹夜しようとも仕事を続けようとするほど。一方でガンダム顔の柄の海水パンツを履くなど、年相応の子供っぽさを垣間見る事ができる。
フリーデン解散後、シンゴ、ロココ、ナインやパーラ等と共にジャンク屋「フリーデンIII」を営む。

サラ・タイレル
Sala Tyrrell
声:かかずゆみ
フリーデンのオペレーターを受け持つ一方、副官のような役割も担う。19歳。一見するとキツい印象を与える容姿をしている。ジャミルの事を密かに思っていた。ジャミルがティファにこだわる事から彼女に対し嫉妬心を持ち、ティファの忠告にも聞き入れないなどの面を見せるが、わだかまりが解けた後は彼女の能力を頼りにする一方、穏和な面も見せるようになる。
最終決戦前にロアビィに気持ちを打ち明けられ、ジャミルへの思いとの間で揺れ動くが、最終的にはジャミルについて行く道を選んだ。フリーデン解散後は、ジャミルと共に新連邦和平協議会のメンバーとなり、「最高のパートナー」と紹介された。
名字の「タイレル」は英語では「ティレル」と発音する(参照:ケン・ティレル、ティレル)。

シンゴ・モリ
Shingo Mori
声:中村大樹
フリーデンのブリッジクルーとして操舵士を担当する。20歳。ガロードがフリーデンに拘束された際は見張りを、交易の際には交渉役を務めるなど艦内では雑多な役割をこなしている模様。
いつもブリッジに居るためあまり目立った活動が無いが、操舵士としての能力は非常に優れており、フリーデンIIに乗り換える際、マニュアルを読んだだけで操縦方法をマスターしたと言い、実際に大気圏脱出から航行まできちんとこなしているほどである。
フリーデン解散後はキッド等と共にジャンク屋「フリーデンIII」を営んでいる。

トニヤ・マーム
Toniya Malme
声:三石琴乃
フリーデンのブリッジクルーで通信オペレーターを担当する。17歳。奔放な性格で露出度の高い格好を好む。その一方で感性が鋭く、他人を気遣う側面も持ち合わせている。
セインズアイランドでガロードと因縁があるエニルと出逢って親友になりフリーデンへの乗船を誘ったりもしているが、この時は叶わなかった。最終決戦を前にして、互いに意識していたウィッツから指輪を贈られてのプロポーズを受けて戸惑いを見せたり、純粋な一面も見せている。
フリーデン解散後は、ウィッツと共に彼の故郷の村を訪れる。

テクス・ファーゼンバーグ
Techcs Farzenbarg
声:中博史
フリーデン乗艦の医師(フリーデン内には、計2名の医師がいる模様)。36歳。艦の最年長者で、ジャミルやクルーの相談役など、あくまで医師としても立場を貫く。若い頃はポール・ヴェルレーヌやハインリッヒ・ハイネの詩を諳んじていたり、ビリヤードの腕もなかなかであるなど、意外としゃれた趣味を持っている。本人曰く戦前の恋人は天国にいる。漫画版では戦中軍医として働いており、ジャミルとはそこで初めて出会ったとされている。
フリーデン解散後、戦闘が続く地域の野戦病院に勤務し、医師として新連邦・ゲリラの区別なく治療を行う。

シャギア・フロスト
Shagia Frost
声:森川智之
オルバの兄。19歳。
新連邦のエージェントとしてガンダムヴァサーゴに搭乗し、フリーデンクルーと度々対立する、本作におけるライバルキャラ(本人等曰く宿命のライバル)。
二卵性双生児であり(初期設定では一卵性であった可能性あり)特殊能力として兄弟同士でテレパシーによる意思疎通をする事ができるツインズシンクロニティを持っている。その能力のため連邦軍においてニュータイプ訓練を受けていたが、フラッシュシステムには感応しなかった為カテゴリーFに分類されてしまった。その事を恨み続けて、ニュータイプを至上とし自分達を紛い物として隅に追いやった世界への復讐を志した。その目的のためには手段を選ばず、数々の人間を踏み台にして新連邦軍中枢部に入り込み、暗躍の果てに昇進を重ねていく。
最終決戦時に、ガロードのガンダムダブルエックスと相打ちになり死亡したように見えたが、その後、ガロードとティファが立ち寄ったセントランジェの町に、車椅子に乗った彼の後姿が描かれている。更に『コミックボンボン』に連載された漫画版の最終回では2人とも五体満足の姿で、ガロードとティファの乗った列車を隠れて見送っている。
兄弟共に冷酷な性格だが、シャギアは比較的冷静であり、滅多に表情を崩さない。また、「互いをただ一人の肉親であり味方である」と認識している故に、兄弟の絆は固い。

オルバ・フロスト
Olba Frost
声:佐々木望
シャギアの双子の弟。
新連邦のエージェントとしてガンダムアシュタロンに搭乗し、フリーデンクルーと度々対立する。
兄同様、ツインズシンクロニティを持っており、自分達を冷遇した世界に恨みを抱いている。兄と比べてやや激昂し易い性格で、度々シャギアに諌められていた。
ティファ奪回という兄の意を受け、フリーデンに偶然助けられたモビルスーツ乗りを装い、フリーデンの搭乗に成功。彼女を連れ出し、アルタネイティヴ社に連行するなどの活躍を見せた。
最終決戦時に、ガンダムダブルエックスと相打ちになり死亡したように見えたが、戦後のセントランジェの町でシャギアに付き添う彼の後姿が描かれている。

エニル・エル
Ennil El
声:本多知恵子
バルチャーに雇われていたフリーのモビルスーツ乗り。19歳。戦中から地球に潜入していた宇宙革命軍情報将校ナーダ・エルと地球の女性との間に生まれた。戦後、革命軍将校であった過去が発覚してしまった父が革命軍を憎む地球住民に殺されて以来、天涯孤独の身となって生きてきた。
とある事から見せられたガロードの写真から彼に興味を持ち、近づくも拒絶された事でガロードを倒す事に執念を燃やす。フォートセバーンまでフリーデンを追いかけ、ノモア・ロング市長と接触を図る。その後、移り住んだ太平洋上の都市セインズアイランドで、入国管理官のマイルズからのプロポーズを受けるが、偶然入港していたフリーデンを目撃し、元の世界に戻る事となる。
ゾンダーエプタ島でガンダムダブルエックスを偶然目撃したためフロスト兄弟に撃墜され、その際フリーデンに救助される。フリーデンがエスタルドに入港した際に退艦、セインズアイランドに戻るが、マイルズは新連邦に処刑されており、復讐のためゲリラとして戦いを挑む。その戦いの最中、宇宙革命軍の工作員と接触、革命軍に入る事を進められるが、彼らがティファをさらおうとしている事を知るとそれをフリーデンに伝えに行き、その後、最終決戦に赴くなど、ガロード達に協力するようになる。味方になって以降はガロードに対しての気持ちは憎しみから恋愛感情に近いものになっていたようだが、結局身を引いた模様(漫画版では一応、それらしき発言をしている)。
フリーデン解散後は、何故かロアビィと共にウィッツの故郷の村に現れる(最終決戦後に「意気投合」し、恋人に近い関係になったとされる)。

カリス・ノーティラス
Carris Nautilus
声:水谷優子
北米北部にあるフォートセバーン市出身の、ノモア・ロング市長によって作り上げられた人工ニュータイプ(強化人間)である。
潔癖な理想主義者であり、市の平和のためと信じ、自らノモアの手で人工ニュータイプとなる事を選び自警団を率いて戦っていた。ガロードのガンダムXと対峙し、彼のMS、ベルティゴでガンダムXを撃破した。それと同時にティファを拉致する。だが、自分と同じ人工ニュータイプだと思っていたティファは生まれながらにニュータイプ能力を得ていたと知り、ノモアの本心にも気づいてしまう。
ガンダムXディバイダーに乗ったガロードとの再戦に敗れた後、ガロードにわざと撃たれて死のうとしたが、テクスの処置によって助かる。夜中にフリーデンを脱走するが、ガロードに生きろと叱咤され、初めて笑顔を見せた。しかしその直後、ノモアによって巨大モビルアーマー「パトゥーリア」に生体ユニットとして組み込まれてしまうが、ガロードによって無事救出され、フォートセバーンの復興のためにも生き抜く事を誓う。後にはフォートセバーンの代表として新連邦に抵抗する武装組織に参加。一隊を率いてフリーデンのクルーたちを助け、最終決戦では共闘し、その後ガロード達の旅立ちを見送った。
人工ニュータイプ特有の後遺症であるシナップス・シンドロームには最後まで苦しめられていたが、気遣うガロードに「それもまた自分の人生だから」と認める心の強さを見せる。
名前の由来は、小説『海底二万マイル』に登場する潜水艦「ノーチラス号」から。
他のガンダム作品に登場する強化人間は、生死未確認な『機動戦士Ζガンダム』のゲーツ・キャパを除いて全員死亡しているのに対し、彼は最終話終了まで生存する唯一の人物である。

パーラ・シス
Paala Sys
声:長沢美樹
宇宙革命軍にレジスタンス活動をおこなう組織サテリコンのメンバー。15歳。巨乳。ガンダムダブルエックスが不慣れな宇宙戦のために撃破寸前となった時にGファルコンのパイロットとしてあらわれ、ガロードを救出する。年長者ばかりの中で育ったためか、快活で男勝りな性格。自称「サテリコンの亡霊」(第34話、ガロードと連名で名乗った)。
サテリコン壊滅後は、ガロードと共にコロニーレーザーを撃破し仲間の仇を討った。ガロード、ティファと共に地上に戻る直前フロスト兄弟に捕らえられるがその後脱出、ジャミル達と合流する事に成功する。その後はフリーデンのクルーと行動を共にする。フリーデン解散後は、キッドやシンゴ等と共にジャンク屋「フリーデンIII」を営んでいる。

ランスロー・ダーウェル
Lancerow Dawell
声:竹村拓
宇宙革命軍の大佐。34歳。第7次宇宙戦争時はライラック作戦に参加し、ニュータイプ兵士としてベルティゴに搭乗していたが、作戦開始直前に当時旧地球連邦軍に所属していたジャミルの駆るガンダムXによって作戦を阻止され、それ以来ジャミルとは宿敵同士となる。コロニー落とし作戦ではフェブラルに搭乗し、ジャミルのガンダムXとの激戦の末、相討ちとなった。この時、ジャミルと同じくニュータイプ能力を失う。
第7次宇宙戦争後も引き続き革命軍に残り、教導部隊を率いる事となった。ニュータイプ主義の下で英雄として祭り上げられ、軍でも優遇されていたが、ランスロー自身はその事に疑問と反発を覚えていた。そんな中、ティファがニュータイプ主義のための人材として革命軍本拠地のコロニー群「クラウド9」に拉致されてくる。しかし、ニュータイプをコロニー住民を統治するための象徴、手段としか考えないザイデル総統は地球生まれで能力を持つ彼女をむしろ危険視し、ティファは危険な状態におかれる。
そんなティファを、ランスローは周りから保護するようになるが、ティファの、ランスローは「ジャミルと、とてもよく似ている」という言葉を聞き、彼女とジャミルが知り合いであった事に驚いていた。ジャミルと同じく能力を失っているが、ジャミルのように無理をして能力を使用する場面は無かった(ただし、自分を見るティファの視線を感じ取った時には「君か?私の心に触れたのは」と表現する等、わずかに能力が残っているかのような描写はあった)。
MSパイロットとしての力はジャミル同様健在で、ティファ救出のために宇宙に上がったガロードとの初戦では、宇宙戦に不慣れなガロードのダブルエックスを完膚なきまでに叩き、沈黙させる。しかし、二度目の対決ではガロードがランスローに太刀打ちできるまでの戦いを見せるようになり、短期間で宇宙戦に馴染んだ事に驚いていた。またその際にガロードから、ジャミルがニュータイプを保護するために戦っている事を知らされ、強い衝撃を受ける。その直後、革命軍の殲滅攻撃開始を知ったランスローはこれを知らせ、ガロードを助ける。
その後ティファを救出し、ザイデルをあしらった上で、革命軍のコロニーレーザーをサテライトキャノンで破壊し、地球へと帰還するガロードを、「ジャミルには人を育てる才能もあったのか」と感慨深げに見ていた。月面施設をめぐる新連邦軍との武力衝突の際には、クラウダを駆りジャミルと合流。共にガロードのガンダムダブルエックスを援護、フロスト兄弟と親衛隊の行く手を阻んだ。また、ジャミルと共に「D.O.M.E.」の言葉を聞き、過去から解放され、新たな自分の道を考えるようになる。
最終決戦後は、新連邦軍と宇宙革命軍の和平交渉に参加している。
主な搭乗機はRMSN-008 ベルティゴ、RMSN-002 フェブラル、RMS-019 クラウダ(ランスロー専用機)。

新地球連邦
フィクス・ブラッドマン
Fixx Bloodman
声:青森伸
政府再建委員会のリーダーで、新連邦政府樹立後は新連邦軍総司令官。ニュータイプを秩序を乱すものとして恐れる。物語後半のフロスト兄弟はブラッドマン直属の部下にまでのし上がっていった。ブラッドマン本人はフロスト兄弟を使いこなし、事を進めてきたつもりであったが、兄弟にとってブラッドマンもまた、利用する存在にすぎなかった。マイクロウェーブ送信施設を掌握しサテライトランチャーを使用したフロスト兄弟がザイデルの抹殺に成功、ブラッドマンの覇権はなったかに見えたが、直後に自らも裏切られサテライトランチャーで消滅させられた。

アイムザット・カートラル
Aimzat Kartral
声:石塚運昇
新連邦政府再建委員会のメンバーで諜報統括官。太平洋上の地図に無い人工島・ゾンダーエプタ島でガンダムダブルエックスの開発を指揮する。フロスト兄弟の当初の上官で、彼等に北米大陸の情勢やニュータイプ能力者に関する情報を探らせていた。他の政府再建委員会メンバーと異なり、ニュータイプやその専用機であるガンダムを重要視、それらを新連邦の力の象徴とする事を目論み、ニュータイプ研究所と独自に接触を図ろうとするなど、野心家としての一面もあった。
フロスト兄弟の事は優秀な側近として重用していたものの、恐らく内心ではニュータイプとして認めず、「カテゴリーF」として蔑んでいたと思われる。フロスト兄弟も表面的には従順だったものの、アイムザットの内心を察して相当憎んでいたようで、フロスト兄弟の裏切りによって射殺される寸前の、アイムザットの台詞に、普段冷静でポーカーフェイスのシャギアが表情を険しく歪めた事からも、それが窺える。

カトック・アルザミール
Katokk Alzamille
声:広瀬正志
新連邦軍特殊部隊隊長。フリーデン捕獲作戦を指揮する。第7次宇宙戦争のコロニー落とし作戦の時に、ジャミルが打ち落としたコロニーの中に妻子がいたため、以来ニュータイプを憎んでいる。実際は、革命軍占領時にコロニー住民は皆殺しになっており、それが逆恨みであるのを分かっていても、自分が軍人であるためにそれを認められなかった。ティファがニュータイプとして垣間見た「もう会えない」未来を覆すためにガロードと共に行動。再会した2人をかばうために銃弾を浴び満足して死んでいく。その死の間際言った言葉は、ガロードの行動に大きな影響を与えた。

2009年02月04日

源氏(げんじ、みなもとうじ)は、「源」を氏・姓(本姓)

源氏(げんじ、みなもとうじ)は、「源」を氏・姓(本姓)とする一族である。日本においては皇族が臣籍降下する際に名乗る氏の一つであった。姓(カバネ)は朝臣。もっとも有名なものは、幕府を開いた将軍を輩出した清和源氏だが、家格が最も高いのは村上源氏であるとされる。流派はこのほか多数ある。
ネオコ ダーリン ビザン じゅうも リューマ しゃかとう バウン シミュ クロレ スクウィ チンキキ バニリン ドレミ 喜びの泉 レプトン デニン プレス インビボ 太陽の記憶 スイーター スリーパー タイア レジャ リアシ リッター パール ブース ミクロ シネマイ ハーフ ブラック ゼニア シャンペン ひだまり ユーラ オービ キシロ みそぎ パドバ 太秋柿 ガールフ カーボン ケルベ ステゴドン プロト セラピー ショーウ サーチリス ラフト ラゲージ

源姓(本姓が源氏)の家系はそれぞれ別の苗字を号しているため、現在「源」を今日的な意味の姓として名乗る例はそれほど多くなく、推定人口は4,000人程である。だが源義忠流清和源氏(源義高・源義清の子孫、河内源氏)は現在も、源を今日的な意味の姓としており、江戸時代の資料等にも苗字が源であり、姓も源となっている。

源氏は源の姓を持つ氏族であるが、嵯峨天皇が生まれた子らにその姓を与え、皇室と祖を同じくするという名誉の意味をこめて与えた。

嵯峨天皇に皇子皇女が増え、朝廷の財政を逼迫させる基にもなることから、早くに臣籍降下することが皇胤にとって子孫繁栄の道であった。親王ながら、皇位を望めない場合や、諸王にあって親王宣下を望めない皇族が自ら降下を求める場合と、朝廷から一方的に降下させる場合とがあり皇別氏族を取り巻く状況は朝廷の財政事情と常に連動する要素が強かった。

嵯峨天皇の後の天皇も度々皇族を源氏として臣籍に下したことから、嵯峨天皇を祖とする源氏を嵯峨源氏と称する様になり、以後源氏はそれぞれの祖と仰ぐ天皇の号をもって氏族の称とした(仁明源氏、文徳源氏、清和源氏、宇多源氏など)。また、朝廷が皇族を臣籍降下させ源氏とした背景としては、上級貴族として皇室の藩塀とすることという理由もあったが、実際には3代目以降も上級貴族であり続けた例はほとんどなく、大半は受領階級として地方へ赴任しそこで土着して武士化するか、中央で中下級貴族として細々と生き延びた。他に、皇族に対して賜った姓としては、他に在原朝臣、平朝臣などがある。

また、代表的な家紋である「笹竜胆」は北条氏の家紋である三角形が並んでいる「三つ鱗」より古く、日本最古の家紋であると言われている。

武家源氏と公家源氏
清和源氏は、二十一流あるといわれる源氏における一家系であるが、武家源氏として歴史上に名を馳せたことにより、清和源氏をして源氏と称することが多い。

この一族は清和天皇の皇子を祖とする。武家源氏として名を馳せた清和源氏においては畿内に始まり各地に土着しており、源満仲の子から摂津源氏、大和源氏、河内源氏とに分かれ、河内国を本拠地とした河内源氏の源義家(八幡太郎義家)はその主流で、その子孫は鎌倉幕府を開いた源頼朝に代表される武門として栄え、さらに河内源氏からは石川源氏、甲斐源氏、常陸源氏、下野源氏(足利氏)、上野源氏(新田氏)などが分派している。摂津国を本拠地とした摂津源氏からは多田源氏、美濃源氏その他が分派しており、いずれも清和源氏一門であり、いわゆる「武家源氏」である。

清和源氏以外に武家となった源氏としては、嵯峨源氏の源融を祖とする「融流嵯峨源氏」があり、嵯峨源氏の武家として系譜を伝えた代表は、摂津国を基盤とした渡辺氏とその分流の松浦氏であり、また宇多源氏の中で武家として近江国を基盤とした系統は近江源氏(佐佐木源氏)と称し、佐々木氏として有力武士団に成長していく。

中央貴族として栄えた源氏として村上天皇の皇子を祖とする村上源氏がある。同じ源氏でも公卿として繁栄する系統や、武士や神官となる系統に別れるのは、政治情勢や臣籍降下する者、母方の勢力や身分がその後の官途に大きく左右する為である。特に天皇の皇子が降下することを、「一世の源氏」といい、任官の上で大いに優遇された。皇孫に至って臣籍降下することを「二世の源氏」といい、一世の源氏よりも家系的には不利を蒙った。

平安後期以降、皇位継承とは関わりのない皇子皇女たちは出家する慣例が生まれたため、賜姓源氏はほとんど途絶えていたが、江戸時代に入って一家が生まれた。嵯峨天皇以来、21代の天皇の子孫に源氏が与えられたと言われている(源氏を与えられた当人やその子の代で断絶・消滅した家も含めて)。

おもな源氏

嵯峨源氏
52代嵯峨天皇の子孫。嵯峨天皇は多くの皇子皇女に源氏姓を賜り臣籍降下させた。この内、源信・源常・源融は左大臣となり、平安時代初期に朝廷の一大勢力をなした。また、源融の系統は地方に土着として武家となった。子孫に渡辺氏、蒲池氏など。

仁明源氏
54代仁明天皇の子孫。仁明天皇の子、源多・源光は右大臣となった。また、源光の子孫に、清和源氏の源満仲の妻の父であり、嵯峨源氏の源綱(渡辺綱)の養父である源敦がいる。

文徳源氏
55代文徳天皇の子孫。左大臣となった源能有の子孫に北面武士となった坂戸氏がある。

清和源氏
56代清和天皇の子孫。もっとも栄えたのは第六皇子貞純親王の子・六孫王経基の系統。鎌倉将軍家を輩出したことから、武家の統領の家柄とされ、足利氏・徳川氏の両将軍家を初めとして、極めて多数の武家が清和源氏の子孫と称した。

陽成源氏
57代陽成天皇の子孫。清和源氏の祖とされる源経基は陽成天皇の孫とする説があり、この説に賛意を示す学者もいるが、広く学界の承認するまでには至っていない。 (参照→貞純親王)

光孝源氏
58代光孝天皇の子孫。第一皇子である是忠親王の曾孫源康尚は仏師流の祖となり、この系統から仏工の各流派を輩出した。

宇多源氏
59代宇多天皇の子孫。第八皇子である敦実親王の子、源雅信・源重信兄弟はいずれも左大臣となった。特に源雅信の子孫が栄え、公家としては堂上家5家を、武家として佐々木氏を輩出した。

醍醐源氏
60代醍醐天皇の子孫。第十皇子の源高明は左大臣となったが後に安和の変にて失脚した。源高明の子孫に岡本氏・河尻氏がある。他に、第一皇子克明親王の子に管弦の名手として有名な源博雅がいる。

村上源氏
62代村上天皇の子孫。第七親王の具平親王の子で藤原頼通の猶子となった右大臣源師房の子孫が栄えた。その子孫からは多数の堂上家を輩出し、室町時代に足利氏に奪われるまで源氏長者は師房一族が独占した。

冷泉源氏
63代冷泉天皇の子孫。源氏二十一流に含まれるが具体的に源姓を賜与された子孫の名は伝わらない。

花山源氏
65代花山天皇の子孫。堂上家の白川伯王家となり、神祇伯を世襲して神道を統括した。

三条源氏
67代三条天皇の第一皇子敦明親王の子孫。嫡流は源通季以降正親正を世襲し、五位の王氏に復した。

後三条源氏
71代後三条天皇の第三皇子輔仁親王の子孫。輔仁親王の子源有仁は左大臣となった。源頼朝の家臣で平家物語にも登場する田代信綱は源有仁の孫とされる(『源平盛衰記』)。

後白河源氏
77代後白河天皇の第二皇子・以仁王(高倉宮)。以仁王は親王宣下がなされず、ついに治承4年(1180年)、最勝親王を名乗り安徳天皇と平氏政権の排除を唱えて源頼政とともに挙兵するが、敗死した(以仁王の挙兵)。その際、後白河院から源姓を賜与されて名も「源以光」と改められ、流罪が下された。

順徳源氏
84代順徳天皇の第五皇子・忠成王、第六皇子・善統親王の子孫。善統親王の孫源善成は四辻を号し足利義満の応援も受けて左大臣に昇った。

後嵯峨源氏
88代後嵯峨天皇の孫・源惟康。後嵯峨天皇の第二皇子宗尊親王が第6代鎌倉将軍を退いた後、その一男で7代将軍に就任した惟康王に対し、源姓が賜与されて「源惟康」となった。ただし、その後鎌倉幕府が惟康を京へ追放し、代わりに久明親王を将軍に迎えるため、その下準備として幕府の要請により朝廷より惟康に対して親王宣下がなされ、惟康は皇族に復帰。すなわち「後嵯峨源氏」は惟康一代で終わった。

後深草源氏
89代後深草天皇の皇子で、鎌倉幕府8代将軍となった久明親王の子孫。久明親王の子守邦親王(9代将軍)・久良親王が源姓を賜与されたとされる[1]。また、久良親王の猶子(実は二条道平の子)源宗明は権大納言に昇った。

正親町源氏
106代正親町天皇の子孫。堂上家となり、広幡家を称した。

2009年01月21日

オルペウス教(Orphism、Orphicism)

オルペウス教(Orphism、Orphicism)は、古代ギリシャ世界における密儀教。冥界(ハーデース)を往還した伝説的な詩人オルペウスを開祖と見なしている。 また、冬ごとに冥界に降り、春になると地上に戻るペルセポネー、同じく冥界を往還したディオニューソスもしくはバッコスも崇拝された。 その歴史的起源は紀元前6世紀、または、少なくとも紀元前5世紀にまでさかのぼり得るかもしれない[1]。

エレウシスの秘儀と同じく、 オルペウス教は来世における優位を約束した。

一部の歴史家は、冥界を往還する神々を崇拝し、より良き来世を約束するこれらの密儀教が、初期キリスト教に影響を与えたと類推している

一般的な古代ギリシャ宗教と比較して、オルペウス教の特徴とされる点は以下の通りである。

人間の霊魂は神性および不死性を有するにも関わらず、輪廻転生(悲しみの輪)により肉体的生を繰り返す運命を負わされている、という教義。
「悲しみの輪」からの最終的な解脱、そして神々との交感を目的として、秘儀的な通過儀礼(入信儀式)および禁欲的道徳律を定めていた点。
生前に犯した特定の罪に対し、死後の罰則を警告した点。
教義が、神と人類の起源に関する神聖な書物に基づいている点。

典拠
ギリシア人一般あるいはギリシア神話は、死後の世界に対する興味をそれほど示していない。この点でオルペウス教は特殊であり、そのため研究者の間には死後について言及をオルペウス教の影響に帰する傾向が存在した。しかしオルペウスのものとされる書物や教義は、早くにはヘロドトス、エウリピデス、プラトンなどの言及による確認されるものの、確とした教団として言及されるのは比較的後代となり、なおかつオルペウス教団自体存在しないとする研究者も存在する[要出典]。このような極端な懐疑論を取る研究者は少なく、また近年のデルヴェニ・パピルスや黄金版などの発見により、懐疑論はいくらか勢いが弱まったものの、いつの時代から、どの程度の影響力を持っていたのかについては研究者の間にコンセンサスは存在しない。

神話
オルペウス#オルペウスの詩と儀礼(英語版)
オルペウスによるものとされる神話はヘシオドスの『神統記』に範をとる系譜的な神話詩によって語られていたようである。この神話は近東諸国の神話の影響を受けた可能性もある。オルフェウス教に特徴的な人間の本質の起源を語る物語は以下のとおりである。: ゼウスとペルセポネの息子であり、かつザグレウスの霊魂の顕身であるディオニューソスは、ティーターン族により殺害され、その身を茹でられた。だが、ヘルメースがザグレウスの心臓を奪いかえし、怒ったゼウスがティーターン族に稲妻を浴びせかけた。 その結果、ディオニューソスの体の灰とティーターンの体の灰が混じりあい、その灰から罪深き「人類」が生まれた。そのため、ディオニーソス的要素から発する霊魂が神性を有するにも関わらず、 ティーターン的素質から発した肉体が霊魂を拘束することとなった。すなわち、人間の霊魂は「再生の輪廻(因果応報の車輪)」に縛られた人生へと繰り返し引き戻されるのである。

ディオニューソスの心臓は一時、ゼウスの脚に縫い込まれた。その後ゼウスは、死を免れえない人間の女性であるセメレの母胎に、生まれ変わったディオニューソスを宿させることとした。これらの物語にまつわる多くの詳細が、以下の古典文献にて散発的に引用言及されている。

『プロトゴノス神統記』(約紀元前500年頃成立。散逸)。デルヴェニ・パピルスにその影響が見出しうる。
『エウデモス神統記』(紀元前5世紀に成立。散逸)。バッコス信仰およびクーレーテス信仰を混合した文献。
『ラプソディーズ(Rhapsodic Theogony)』(ヘレニズム時代に成立。それ以前の詩編も収録。散逸)。後世のネオプラトニズムの学者による概要を通して知られる。
オルペウス賛歌。 後期ヘレニズム時代もしくは初期ローマ帝国時代の作品より短い、六歩格の詩87編。
フィーバー プレイン ニソガラ てっさく ヒット ロイター 花いちもん スダコタ まんば 甘露国内 ダウト 茜色の約束 イコン デジポ 田園列車 ライプチヒ スキャ ジンビター ププス セレナーデ チガヤ ジャスト ドライカ サンカ デッド 場春夢 スーパー カジスカ ピアサポト マンボウ モンド クロミッド タロミクス せっせっせ レーン ナイト いまさく リース あずきいろ カートリ チューハ レビュ フィン ふすまえ シャブシ カーソル ベロニカ キャリ バビロニ キャラ

終末論
近年発見された黄金版や骨製のタブレットに記された碑文からディオニューソスの死と蘇生にまつわるオルペウス神話と、来世における祝福への信仰との関連性が読み取られる。オルビアで発見された骨製のタブレット(紀元前5世紀) には、以下のような短く謎めいた銘文が刻まれている。「生、死、生、真実、ディオ(ニューソス)、オルペウス」。 これら骨製のタブレットの用途はまだ解明されていない。

トリオイ(テュリ、Thurii)、ヒッポニウム(現在のヴィボ・ヴァレンツィア)、テッサリアおよびクレタ島の墳墓から発見された黄金版(最古のものは紀元前4世紀)には、以下のような死者への教えが記されている。

冥界に降りたとき、レテの水(忘却)ではなく、ムネーモシュネーの泉の水 (記憶)を飲むように気をつけなくてはならない。そして、番人に次のように告げなくてはならない。「私は大地と星空の息子です。喉が乾いたので、ムネーモシュネーの泉から何か飲むものを私にください。」
さらに、他の黄金版にはこう書かれている。

さあ、今や貴方は死んだ。そして、三度祝福される今日、生誕した。ペルセポネーに告げよ。まさしくバックス自らが、あなたを救済したのだ、と。

ピュタゴラス教団との関連
オルペウス教の教義および儀礼には、 ピュタゴラス教団のものとの類似点が見られる。 しかし、一方がもう一方にどれほどの影響を与えたかを断言するには、史料はいまだ少ない